誰かが好きなはずのもの
末広商店街の書店に、白い本が一冊立っていた。平台の真ん中である。表紙にも背にも、字が一つもない。届いた覚えがないと、店主は言った。
わたしが着いたのは朝の十時だった。鴇江川のほうから、湿った風が来ていた。店の前に十人ほど並んでいる。並んでいる人の手には、まだ何もない。
「あれ、今すごく売れてるやつですよね」と、先頭の人が言った。わたしは題名を聞いた。その人は少し黙ってから、「題名は忘れましたけど、大人気作なんですよ」と答えた。
二人目にも同じことを聞いた。三人目にも聞いた。誰も題名を言えなかった。それでも全員が、あれは名作だ、と言った。読んだかと聞くと、まだです、と全員が答えた。
語現現象は、正しい意味では起きない。起きるのは、みんなが同じように取り違えたときだ。「大人気作」という語の本来の意味は、多くの人が実際に読んで好んだ作品である。だがこの街の人たちが思い浮かべていたのは、そうではなかった。自分はまだ読んでいないが、みんなが好きなはずのもの。それが揃った。
だから出てきたのは、中身のない器だった。
店主は白い本を触っていなかった。触ると危ないと知っていたからだ。この人は語現現象について正確に理解している数少ない一人で、市の講習にも出ていた。理解していたので、触らずにいられた。
けれど店主にできたのは、それだけだった。並ぶ人を止めることはできない。理由を説明しても、誰も信じない。正しさは、声の数に勝てない。
十一時すぎに、若い店員が本を平台から下げようとした。棚の整理のつもりだったらしい。手袋はしていなかった。
その人が本を持ったのは、たぶん三秒くらいだ。開いた頁には何も印刷されていなかった。本人もそう言った。
十分後、その人は感想を話しはじめた。
最初は主人公の名前だった。次に、終盤で雨が降る場面のこと。それから、二章の会話がいちばん良かったという話。どれも具体的で、迷いがなかった。
わたしは記録を取った。取りながら、店主の顔を見ていた。店主は「その本、白紙でしたよね」と一度だけ言った。店員は「はい」と答えた。答えてから、また感想の続きを話しはじめた。
白紙だったと認めることと、感想を話すことが、その人の中では矛盾していなかった。
夕方までに、店員の話す内容は三度変わった。主人公の名前も変わった。前と違うと指摘すると、その人は不思議そうな顔をして、そんなことは言っていないと答えた。嘘をついている顔ではなかった。
第四課にできることは決まっている。退治する方法はない。あるのは、記録することと、収束するまで見ていることだけだ。局は隠すのが上手なだけで、止める力を持っていない。
わたしは店員に、いつもの質問をした。何と呼ばれたいですか、と。
その人は少し考えて、「読んだ人、でいいです」と言った。わたしはうなずいて、記録には書かなかった。書けば、それがその人の輪郭になる。
八月の終わりに、白い本は平台の木目に染みになって沈んだ。商戦が終わり、誰もその言い回しを使わなくなったからだ。語が忘れられても、語現体は消えない。土地に沈むだけである。
店員はいまも働いている。棚の前で客に本をすすめるとき、ときどきその本の話をする。内容は毎回違う。客は熱心に聞いて、たいてい別の本を買って帰る。
報告書には、収束と書いた。看取りと書くべきだったと思う。けれど様式にその欄はない。
帰りに橋を渡ったら、川の水が思ったより少なかった。今年は雨が降らない。
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